タコの卵

どこまで我慢するのが身近な恐怖なのか

大阪ミナミのはなまるうどん「かけ中」の思い出

昔大阪に住んでいた。

親には「遊びに行ってくる」と言ってそのまま空港に向かい大阪に。

家出だ。何も告げずに飛び出した。そのまま大阪で何年か過ごす事になるが、その話はのちのち書きたい。

 

大阪にいた時に僕はキャバクラのボーイをしていた。

金がないので水商売で働く沖縄人。絵に描いたような状況に今思うと微笑ましい。

 

キャバクラの出勤は夜からだと思われがちだが、色々と準備があるので夕方ごろになる。だいたい4時~5時ぐらいに店を開けて軽い掃除をして準備だ。

準備が終わるとスカウトと呼ばれる仕事にでかける。

 

このスカウトってのは文字通り女性をスカウトする行為だ。

ミナミの繁華街なのでしぬほど人がいるなか、女性にかけより「仕事なにしてるの?」「よかったら働かない?」「めっちゃ可愛い」とか色々声をかける。

とにかく数撃ちゃ当たる戦法で声をかけ続ける。

最初は恥ずかしかったし緊張したが、慣れたら50回連続で無視されてもどうってことなくなる。慣れとは怖いものだ。

沖縄からやってきた南国ボーイが擦れていくのがわかる。

 

ガンガン声をかけつづけ無視されたりたまにはメールアドレス交換できたり、スカウト成功!って思ったのに未成年だったり……とかやっていると腹が減る。

 

まだ朝飯を食べてないからだ。

夜型生活なので夕方が朝。キャバクラはみんなが思うよりも肉体労働で激務なのでご飯をしっかり食べないと潰れてしまう。

 

そんな時に重宝したのが「はなまるうどん」だ。

 

宗右衛門町から心斎橋筋商店街に向かうとすぐ「はなまるうどん」があった。

繁華街中の繁華街なのに広々とした店内に、あからさまな同業者達。家族連れ。などなどたくさんの人がいた。

例に漏れず僕もここで遅い朝飯を毎日のように食べていた。

 

はなまるうどんはサービス商品なのか「かけ」が100円だったのだ。

そして「かけ中」は200円。「かけ大」は300円。うどん一玉100円。

 

いつもそこで「イカゲソの天ぷら」と「かけ中」を食べていた。

天かすも入れてごまも入れて。考えることは多い。今日は雨振りそうだからお客さん少なそうだな~とか、連絡入れている女の子今日は出勤してくれるだろうか。

常連さんの○○さんが着てくれたら売上もありがたい。忙しいと大変だけど、暇だとどヤされるから大変だ。そう言えば大阪に着てから一回しか映画館に行ってないな~。

 

様々な思いをかけ中と共に過ごしてきた。

その後は店に戻り看板をだし呼び込みだ。僕は呼び込み担当なのだ。

店の前を通りかかる人に「どうですか!?可愛い女の子と涼しい店内でビールでも?」みたいな客引きをする。無限にする。

客が全然入らないと店内の偉い人にインカム越しに「はよ入れろや」みたいな怒りがでるが、それでも入らないと直接外にきて激を入れられる。怖い商売だ。しかし、ガンガン客を入れて店内が満員になると達成感がある。

キャバクラの仕事の話も別の機会に書きたい。想像を超える楽しい世界だからだ。

 

そんな「かけ中」と共に過ごしたミナミの夜。

沖縄のはなまるうどんでもなぜか当時の事を思い出し頼んでしまった。

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例のごとく天かすやゴマをたっぷりと。

 

これ毎日食べてたな~と懐かしがりながら、麺をすする。

思い出補正とでも言うのだろうか。当時ほどの美味さは感じられない。

それでも懐かしさは色褪せなかった。

 

キラキラと光るネオン街。夜の蝶と呼ばれる女性たち。黒服で威張り散らしたボーイ達。みるからにヤクザな人。職業不明な金持ち。毎週来てくれる全身ベルサーチのおじ様。思ったより下品なお笑い芸人。

 

 

その中でも毎日店の前を往復する中国人女性の一人に目を奪われていた。

素朴な感じでこんな街には似合わない。毎日4~5人で宗右衛門に入り、朝方になると宗右衛門を同じメンバーで帰っていく。恐らくチャイナ系のエッチなお店で働いてる人達だ。

その中の一人に客引きの僕はたまに話しかけた。相手は外国語しか話さないし僕も日本語しか話さないので意思疎通が難しいが、ある日花をプレゼントした。500円ぐらいの一輪の花だ。キザだがこれで気に入ってくれたら嬉しいなと渡した。

彼女は嬉しそうのその花を受け取ってくれて街の中に姿を消した。

 

 

 

そんな思い出がつまった「かけ中」とイカゲソ天ぷら。

美味しくはないが、また1年後ぐらいに食べたい。