「会話術」や「人気者に共通する10個の法則」何て書籍やコンテンツが昨今は大人気だ。
コミュニケーション能力が高い程良い!って風潮すらある。所謂コミュ力ってやつ。あって困るものじゃあないしコミュ力が高くて困ったって話も聞いたことがない。真逆のコミュ症で困った話はいくらでもあるので、ある程度のコミュ力はあったほうがいいのだろう。
現在の日本は悲しい事にコミュ力がないと生きづらい世の中になってしまったのかもしれない。
コミュ症とまではいかないが、コミュ弱?ぐらいの人は辛い生活を送っているかもしれん。
そんなあなた!
このブログを読んでいるあなたはラッキー。
この生きづらい世の中を快適に泳げる技をウルトラコミュニケーションマンと呼ばれる僕が奥義を伝授する。
今日から何か判断を求められたら
普通→悪くないですね
って変えるだけだ。
例えば
友「俺このお菓子好きなんだよね!良かったら一口どう?」
T「ありがとう!いただきます!パクパク…うーん、普通って感じ?」
友「そっか~。Tにはヒットしなかったか~…」
これを「悪くない」に変えると
友「俺このお菓子好きなんだよね!良かったら一口どう?」
T「ありがとう!いただきます!パクパク…おっ!このお菓子悪くないね。」
友「でしょ~!結構後味サッパリでいいんだよね~♪」
どうだろう?
普通から悪くないって表現に変えるだけでこの変わり様!!
自分で書いといて変わり様とかいっちゃうけど、実際に全然違ってくる。
世の中の判断基準を会話で照らし合わせると
普通
って評価は、普通より悪いのだ。何を書いてるかわからないがわかってほしい。
普通は本当の普通より低い評価に感じられる。
文章で普通って書くよりも口で、会話で
これ普通だね
って言われると本当の普通より悪く聞こえてしまう。
経験ないだろうか?お勧めの物を普通って言われた時に感じる残念感。「そっか普通なんだ。」って心のなかで落胆してしまう気持ち。これが続くと
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この人に何かお勧めしたり判断されるとつまんないな
って思われてしまう。悪い、駄目なんて評価を下してないのにも関わらずだ。
人は普通って判断を人に評価されるのが嫌いな事を断言する。
自分で普通評価をつけるのは構わないが、人から普通って言われるのは耐えられない人が多い。何故か?
普通=つまんない
イメージがベッタリと付きまとってしまってるからだ。この評価は間違ってるようで間違ってない。純粋に言えば間違ってるかもしれないが「普通=つまんない」こっちの方が強い。
映画批評で高得点を叩きだした映画はもちろん見に行きたくなるが、普通の点数が付けられた作品は「どうでもいい映画なのか」と思ってしまう。逆に、ぎったんぎったんに酷評された作品は興味が湧いてくる。「ここまで酷い評価なら逆に見てみたい」こんな気持になった事はあるはずだ。
映画に限らず、食べ物だってそう。
良い:三つ星シェフが腕を振るレストランのフルコース
普通:どこにでもある食堂の生姜焼き定食
悪い:日本一不味いと評判のラーメン屋
この3つの内食べれるとしたらどれを選ぶ?
ほとんどの人が、良い、悪いの方を選ぶだろう。普通を選ぶ人はよっぽどの物好き。
普通は駄目なのだ。本来の意味での普通が評価軸には使われない。だからこそ
悪くない
を使って欲しい。「普通=悪くない」じゃない。 「普通<<悪くない」なのだ。
「悪」って単語が入ってるが普通より上だ。悪くないのだ。「悪」を否定している。
「この店の雰囲気悪くないな~」
どう?くつろいでる人がイメージされない?
何だか気分も良さそうな感じ。
「この店は普通だな」
何か嫌そうじゃない??
少し卑怯な感じもするが言いたいことはわかってもらえたと思う。
だから会話の中で普通と思ったらいったん深呼吸して
「悪くないね♪」
と明るく話そう。これこそがタコの卵流コミニケーション向上術だ。
今日から実践して欲しい。あなたの周りの人はあなたを慕ってくるだろう。即効性はないが、じわじわとあなたの評価は「悪くない」人になってるはずだ。
それでも信じられないのなら目の前にある何かを評価して欲しい。今すぐだ。しかもなるべく声に出してみて欲しい。さあ恥ずかしがらずに!
「タコの卵ってブログ悪くないよね~」