タコの卵

どこまで我慢するのが身近な恐怖なのか

沖縄の人が時間にルーズでウチナータイムなのは天皇の影響が薄く旧暦で行事しているから

沖縄の人は時間にルーズだ。

待ち合わせ場所に時間通りに来たことがない。

飲み会に1時間遅刻は当たり前。

 

沖縄に上記のイメージを持っている人は少なくないだろう。

沖縄に行くとのんびりな人が多く、独特な時間の流れを感じる人もいるはず。

ウチナータイムと呼ばれ沖縄人の決定的な特徴の1つだ。

 

ウチナータイム - Wikipedia

ウチナータイム(日:沖縄タイム、沖縄時間)とは、日本の南西端沖縄県に存在する、日本本土とは異なる独特の時間感覚。 または、沖縄において集会・行事などが予定時刻より遅れて始まること。

日本の沖縄県においては、特に本土または内地と呼ばれる他46都道府県と異なる独特の時間感覚が存在する。
これをウチナータイム、または沖縄タイムと呼ぶ(ウチナーとは琉球語で沖縄のこと)。南国であるためかその時間はゆっくり流れ、県民性は「テーゲー」(適当、いい加減)と称され、または「なんくるないさー」(なんとかなるさ)、細かいことや過ぎたことは気にしないとされる。

内地(本土)に行くと

「沖縄の人だから飲み会に遅れると思ったよ」

「沖縄の人って時間におおらかでいいよね~」

とか言われることがある。

 

そんなに沖縄は時間にルーズでだらしなくいい加減なのか。

 

疑問に思うのはなぜ沖縄はウチナータイムと呼ばれ時間にルーズなのか?

南国特有のゆっくりした時間。気質。沖縄っぽから。暑いから。電車がないから。

色々あるが、どれもこれも僕はピンとこなかった。後付のような感じだ。

 

逆に考えると

なぜ内地の人はここまで時間を守り時間通りに動くのか??

 

時間を守って動くのは当たり前!って言われたらそれまでだが、本当にそうなのだろうか?

 

その疑問を解消してくれた1冊の本がある。

 ネットラジオBS@もてもてラジ袋でぶたおさんが語っていた本だ。

moteradi.com

 

知の訓練―日本にとって政治とは何か―(新潮新書)

知の訓練―日本にとって政治とは何か―(新潮新書)

 

 知の訓練

作者:原武史

この本は非常にウチナータイムの関連性が深いと感じた。

 

先ほど、授業開始を告げるチャイムが鳴りました。

あらかじめ決められた時間にチャイムが鳴る――このこと自体は当たり前のことです。ただ、もう少し踏み込んで考えてみましょう。

そもそも「何時何分」という時間をあらわす概念はいつからできたのか。それが習慣として根付いたのはいつからなのでしょうか

 

時間をあらわす概念がいつからあったのかなんて疑問にも思わなかった。

何もわからないのに時間を守るのが正しいと思っていた。

 

いつから時間を守るようになった?

これはそもそも明治初期に政府が決めたのです。

政府が決めたことにみんなが従うようになる。

「何時何分」という時間の概念のもとにあるのは、太陽暦です。

この太陽暦というのはもともと日本に存在していたものではありません。

それが正確にいつから採用されたかみなさん知っていますか?  一八七三年に日本は太陽暦を導入しています。明治六年です

 

なんと明治六年からの歴史らしい。そんなに昔ではない。

沖縄は琉球処分などがある激動の時代だ。

琉球王国としての影響がまだ根強い時代。なので明治政府の影響も内地に比べると浸透が遅いだろう。なんせ沖縄県になったのは明治一二年だ。内地と比べてかなりのラグがある。

 

1871(明治4)年 廃藩置県     中央集権体制への行政改革

1871(明治4)年 廃藩置県     中央集権体制への行政改革

1872(明治5)年 第一次琉球処分     琉球王国から琉球藩へ

1873(明治6)年 グレゴリオ暦採用 太陰太陽暦から太陽暦へ

1879(明治12)年 第二次琉球処分 琉球藩から沖縄県へ

 

天皇は本来、時間を管理し、人々の生活を支配したが、こうした時間の支配は、太陽暦を導入した近代天皇制のもとで一層強まっていった。

天皇や皇太子は、全国を回る行幸啓を頻繁に行うことで新しい時間を伝達する役割を果たしたほか、大正、昭和の大礼や紀元二千六百年式典では、同じ時間に全国一斉に万歳を行い、昭和初期の国民精神総動員運動では、ラジオの時報やサイレンを通して同じ時間に全国民が宮城や靖国神社、伊勢神宮などを遥拝した

 

太陽暦を導入した近代天皇制はタイムラグがある沖縄人には馴染みが薄い。

琉球王朝の国王が今までいたのに、内地の王様に変わった影響もあるだろう。

 

明治政府の富国強兵政策にもとずく性急な同化策の方法として強化された皇民化教育の畸型的な肥大の過程で、方言使用の罰札を首にぶら下げながら、滑稽な燕尾服姿の校長が朗唱する教育勅語なるものを拝聴しても、それはさっぱり意味のわからないものでしかなかった。

いわば馴染みのない祭式の呪詞として聞きながすほかなかったのである。
白い被衣を着て、神歌をうたいながら村のお嶽で踊る司女(のろ)たちの祭式にくらべて、天皇(制)にまつわる種々の儀式は、いってみれば「異神」の祭として感受されていたように思う。そういうわけで、天皇信仰も天皇(制)思想も、主体のなかに核を形成しないうちに戦乱へ投げこまれたため、なんら血液のなかに澱をつくるものとはなり得なかった。

川満信一 より引用

 有名な方言札しかり、沖縄戦で捨て石にされた印象を拭えない感もあり内地や天皇制に対しての反発感もあると思われる。そもそも神社がなかったのデカイ。

 

旧暦に時間の概念はない

そして沖縄人が時間にルーズでウチナータイムと呼ばれる理由と思われる箇所がある。

よく旧暦という呼び方をしますが、旧暦には秒、分、時間という概念はありません。旧暦は日の長さによって、時間が伸び縮みします。

十二支を割り振った子の刻とか、丑の刻とかがあって、子の刻を九つ、丑の刻を八つなど、鐘を鳴らす数で時刻を表現する呼び方も広まり、日が長くなるとその単位が伸び、短くなると縮むのです。

最小の単位である四半刻ですら三十分前後もある上、日の長さによって伸びたり縮んだりするわけです

 

旧暦には秒、分、時間という概念はありません。

これにはびっくりした。何故かと言うと沖縄は今でも旧暦で伝統行事を行うからだ。

世間一般のお盆は8月だが、沖縄は旧暦で行うため9月だ。他の行事も旧暦で行いがち。

 

沖縄は未だに旧暦で動いている。

 

なので時間の概念があまりないのだ。だから時間にルーズ。だらしないと言われる。

なぜ、未だに旧暦なのかは諸説あるが、知の訓練を読む限り

 

・行幸啓が沖縄に数十年はなかったから

・旧暦を採用している中国の影響が根強かった

 

と僕は思った。行幸啓は新暦で行われるからだ。行幸啓ありきの新暦であって、その機会が数年間は確実になかった沖縄の影響は大きいと思われる。

なぜなら当時の政府は天皇=時間支配になっているからだ。

 

 

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天皇と時間支配

天皇を中心とした内地はきっちり時間通りに動くことを求められ、日本人らしく時間に正確な国になっていく。

政府が時間を定め、時間に従って国民が一斉に同じ行動をとる。

時間支配によって日本は動いていった。

第二次世界大戦の敗戦を伝えた玉音方法も連合国軍によれば驚異的だったらしい。

「なぜラジオを数分流しただけで、日本人は全員戦う気力を無くしたのか」と。

この疑問は、「なぜ日本人はあの時間に戦闘を停止し、ラジオの前に集まることができたのか」という別の疑問につながってくるでしょう

たしかに、なぜ玉音放送があるよ!とみんな知っていて、その時間にラジオの前に集まれたのか??これこそが時間に支配された時間支配の成果だと思う。

時間&天皇の支配は最強の方程式だったのだ。

しかし天皇でさえも時間に支配される。行幸啓のスケジュールは徹底的に管理されている。

 

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作者の説明で時間支配に関する恐ろしいエピソードがある。

一九三四( 昭和 九)年十一月、昭和天皇が陸軍特別大演習統監 地方視察のため群馬県 訪れたとき、両毛線の桐生駅から 自動車 に 乗っ た 天皇 の 一行 を 先導していた警部が緊張のあまり道を誤り、分刻みのスケジュールに狂いが生じたことがありました。

天皇自身は問題にしませんでしたが、警部の一人は自殺を図り、野党の立憲政友会も議会で内務大臣を攻撃しました。この事件は究極の支配者が天皇ではなく、時間そのものであることをよく示しています。

自殺を図った警部は、時間の秩序を乱したことに対する責任をとろうとしたわけです。

詳しくは知の訓練を読んで欲しい。

時間は究極の支配者なのだ。

 

なぜ沖縄は時間支配の影響が少ないのか?

・旧暦で未だに伝統行事を行っている

・太陽暦制定までに年月のラグがあり、地理的や歴史的にも浸透が遅かった

・戦後、米軍統治下の影響があり日本じゃない(日本の時間支配がない)時期がある

・戦後、鉄道が長い間なかった(ダイヤグラムの概念)

・数十年間沖縄に行幸啓がなかった(昭和天皇きてない)

・明治政府と天皇制が沖縄にとってよく思われてない

 

天皇制と距離があり旧暦で活動しているので時間にルーズだと思われる環境が出来上がった。

 

これらの要素が絡み合って、ウチナータイムと内地から呼ばれるようになったと僕は考える。あくまで沖縄の人は時間にルーズだと思ってない。

 

もともと時間の概念がない沖縄に対し内地は徹底的に時間を守っていたのだ。

なので時間支配を徹底的に管理した内地からしたら「だらしない」印象は拭えない。

 

 

知の訓練を読むと長年の疑問が解けるような印象だ。

沖縄の人がだらしないのではなく、内地の人が徹底的にしっかりと時間を守っている。

特に旧暦の下りはハッとしてしまった。旧暦に時間の概念がないなんて……。

沖縄の伝統行事は旧暦だ。これは今後もそうだろう。

 

 

しかし、なぜ日本は旧暦から新暦にパッと切り替えられ世界一時間を守る国に発展していったのか?

その答えは本に書いてあるので是非とも読んで欲しい一冊。

 

知の訓練―日本にとって政治とは何か―(新潮新書)

知の訓練―日本にとって政治とは何か―(新潮新書)